セント・パトリックス・デーって、何の日? 歴史を知ると、おもしろい

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アイルランド (Ireland) は、イギリスの西にある小さな島国です。首都はダブリン (Dublin)
毎年3月17日は、アイルランドの色である緑一色となるセント・パトリックス・デイ ( St. Patrick’s Day ) です。この日は、アイルランド本国はもちろん、アメリカを始め世界中に住んでいるアイルランド移民が、祖国の聖人である聖パトリックをしのぶとともに、祖国アイルランドの歴史と文化を祝う日です。

クローバーは別名シャムロック アイルランドのシンボルです

聖パトリックって、どんな人?

アイルランドの守護聖人

セント・パトリックス・デイ ( St. Patrick’s Day) の名前の由来となっているセント・パトリック ( St. Patrick ) は、実在の人物で、アイルランドの守護聖人です。

聖パトリックは、387年、イギリスに生まれました。16歳の時にアイルランド人にさらわれ、アイルランドで奴隷として売られます。それから6年間、アイルランドの寒さと飢えに苦しみながら、羊飼いとして働かされました。
苦労の末に、命からがら奴隷の生活から逃げて、家族のもとに帰った時は、すでに22歳になっていました。奴隷としての苦しい生活の中で、決して望みを捨てなかった聖パトリックは、その後、神につかえる道を選びます。
43歳でカトリック司教となった聖パトリックは、 アイルランドの人々にキリスト教の教えを広めようと、 再びアイルランドに戻ります。聖パトリックのおかげで、多くのアイルランド人がキリスト教に改宗したと言われています。聖パトリックは、各地に修道院や教会、学校を建てながら生涯をアイルランドでの布教につとめ、 461年3月17日に亡くなりました。

聖パトリックにまつわる伝説

聖パトリックには、たくさんの伝説が残っています。
とくに有名なのは、アイルランドからヘビを追い出したという話と、アイルランドの三つ葉のクローバー ☘ (Shamrock ) を使って、キリスト教の三位一体 ( さんみいったい ) ― 父と子と聖霊 ― を教えた話です。
伝説では、アイルランドに野生のヘビがいないのは、聖パトリックが、すべてのヘビを海に追い出してしまったからだと伝えられています。でも、ダブリンにある国立自然史博物館は、アイルランドには、聖パトリックがヘビを追い出したとされる以前から、ヘビはいなかったといっています。実際に、これまでの調査・研究の結果でも、ヘビの化石は発見されていないそうです。
おそらく、聖パトリックが、ヘビを国から追い出したというのは、キリスト教が広まる前にアイルランドにあった古い信仰を追い出したことを象徴しているのではないかということです。

アイルランドの国の花であるクローバーは、別名シャムロック (Shamrock) と言われます。聖パトリックは、三つ葉のクローバーを手に持って見せ、「父と子と聖霊が、三つでありながら一つであるという三位一体の教えは、シャムロックの葉っぱが3枚でありながら1本のくきでつながっているのと同じ」であると説明しました。

聖パトリックは、今もアイルランドの守護聖人として、世界中のアイルランド人に愛されています。彼の命日である3月17日は、アイルランドの祝日になっています。

カトリック国家 アイルランドの悲しい歴史

カトリック国アイルランドへの弾圧

聖パトリックのおかげで、熱心なカトリックの国となったアイルランドですが、すぐそばには大国イギリスがひかえており、政治だけでなく宗教や、人々の生活のも大きな影響をあたえました。

アイルランドは、今でも国の約 80%がカトリック教徒ですが、同じキリスト教でも、イギリスは、プロテスタントの国です。

そのきっかけは、16世紀の始め、イギリス国王ヘンリー8世が、強大なカトリック国スペインから迎えた女王 キャサリン・オブ・アラゴン ( Catherine of Aragon )と離婚して、アン・ブーリン ( Anne Boleyn )と結婚しようとしたことに始まります。
カトリックでは、離婚は許されないため、イギリスはカトリック国からプロテスタントの国になりますが、アイルランドは、様々な弾圧にも負けず、カトリック信仰を守り続けていきます。

17世紀になっても、アイルランドはイギリスのきびしいカトリック弾圧に抵抗しましたが、そのたびに大国イギリスに武力で抑えられました。1649年に、イギリスのクロムウェルが行ったアイルランド遠征では、カトリックの地主が所有する土地はほとんどすべて取り上げられ、イギリス人の入植者に与えられました。クロムウェルの率いるイギリス兵は1万2000人。土地を没収するだけでなく、修道院や教会を破壊し、カトリック教徒を虐殺しました。この時、アイルランドの人口の3分の1が殺されたり、ほかの国へ逃げていったと言われています。

ジャガイモ飢饉で餓死者 100万人

主食であるジャガイモに病気が広がり大ききんに

さらに悪いことに、1845年に、アイルランド人の主食であったジャガイモが病気になり、あっという間に全国に広がってしまいました。これは1849年まで4年間も続き、ジャガイモ飢饉 ( Potato famine ) と呼ばれています。famine ( ファミン ) とは、飢饉のことです。

当時のアイルランドは、豊かなイギリスの一部だったにもかかわらず、大変貧しい生活を送っていました。何百万人ものアイルランド国民は、ジャガイモだけでかろうじて生きのびている状態だったところに、このジャガイモ飢饉がおそったのです。
アイルランドの農地の所有者だったイギリス貴族たちは、小作料を受け取るだけで、自分たちの農地を見回りに来ることはありませんでした。そのため、小作人たちが飢え死にしかけていても、特に何の対策もせず、土地代が払えなくて、土地を追い出された農民たちは、道端で死んでいきました。
しかもイギリス政府は、飢えに苦しむ農民に対する救援にも乗り気ではなく、当時のイギリスの新聞には、「だらしない(カトリック教徒の)アイルランド人に天罰がくだったんだ」「憐れみをかけてやると、アイルランド人の性格がもっと悪くなる」などと書き立てるくらいでした。

ジャガイモの生産量が、飢饉の前と同じになったのは、なんと1852年でした。
この飢饉で、約100万人が飢えのために死に、さらに200万人以上が生き残るために、アメリカなどへ海外移住しました。当時のアイルランドの人口は約600万人ほどでしたから、国の人口の約半分が、亡くなったり、国外に出て行ったことになります。

命からがら海外に渡航しようとしても、彼らが数週間を過ごす船は、古くて狭く、劣悪な状況でした。くさくてネズミだらけの船内にすし詰めにされた乗客は、すでに栄養失調で体力もないため、アメリカにたどり着くまでに40%が死んでしまいました。そのためアイルランド人たちが乗る船は”棺桶船 (Coffin ship )”と呼ばれました。Coffinとは棺桶のことです。
わずかな希望にかけ、死ぬ覚悟で祖国アイルランドを後にしたのでした。

現在のアイルランドの人口は約490万人ですが、おどろくことに、移住先のアメリカの全人口の約10%がアイルランド系で、その数は約3,300万人におよびます。母国アイルランドでは、飢饉の後も国を出て海外移住する人が後を絶たず、いまだに、1845年の飢饉前の人口には戻っていません。

人口が激減しただけでなく、イギリスが国民学校 (National School) を作ったことも影響し、アイルランド語を話せる人の数も減っていき、アイルランドは母国語を守っていくことすら難しいほど追い込まれていったのです。

移住先でも差別され

ジャガイモ飢饉をのがれて海外に移住したアイルランド人にとって、さらに苦労は続きます。

アイルランド人の移住先は、かつてイギリスの植民地で、プロテスタントの国アメリカでした。
しかし、カトリック信者であるアイルランド人たちは、新天地アメリカでも、仕事や賃金、住む場所などで差別を受けました。アイルランド人が住めるのは、不潔で病気になるようなスラム街、もらえる仕事といえば、危険で誰もやりたがらないつらくて汚い仕事、しかも同じ仕事をしてもアイルランド人はほかの国からの移民よりも安い賃金しかもらえませんでした。アイルランド系移民は、移民の国アメリカでも最下層として扱われたのです。
仕事を探そうとしても、「求人広告 ”Help Wanted”」の下には「アイルランド人お断り “No Irish Need Apply”」の文字が書かれていました。

もっとも多くのアイルランド人が移住したのは、仕事がある都市部のニューヨーク、ボストン、シカゴ、フィラデルフィアなどです。このころの移民の多くは、危険をともなう警察官、消防士、軍人、炭鉱夫や鉄道や運河の建設現場で働く肉体労働者になりました。一方で、ギャングやマフィアの仲間に入るアイルランド人も少なくありませんでした。
1860年代のアメリカへ来る移民の半分はアイルランド人で、当時の新聞の風刺漫画には、アイルランド人をサルに見立てて笑いものにしているものもあるくらいでした。生きてアメリカに到着しても、港で石を投げつけられるなど、アイルランド人の苦難は続きます。

余談ですが、レオナルド・ ディカプリオ オ 主演の映画 ”Gangs of New York (ギャング・オブ・ニューヨーク)” を見ると、アイルランド移民への差別がわかります。

アイルランドの誇りを忘れない

史上初のカトリック教徒の大統領 ジョン・F ・ケネディ

現在のアメリカの人口の約10人に一人がアイルランド人(Irish)であることはすでに説明しました。では、現在のアイルランド人は、アメリカ社会の中でどのような地位をしめているのでしょうか。

アメリカ社会はワスプ (WASP ― White Anglo-Saxon Protestant ) と言われる主にイギリス系のアメリカ人社会の富と地位を占めてきました。同じ白人でも、カトリックであるアイルランド系移民にとっては、大きな壁があったのです。
アメリカの大統領はWASPしかなれないと言われてきましたが、一人のアイルランド移民の子孫がそれが間違っていることを証明しました。ジョン・F・ケネディです。

1850年代になると、なんと、ニューヨークの人口の5分の1がアイルランド系の市民になりました。選挙権を獲得した彼らは、しだいに政治的な力をつけていきます。
そして、1960年代になり、アイルランド人の悲願が達成されました。
アイルランド系移民でカトリック教徒であるジョン・F・ケネディ大統領の誕生です。
1960年の大統領選挙に勝利し、1961年1月、42歳という若さ史上初のカトリック大統領に就任しました。

世界中でアイルランドを祝うセント・パトリックス・デー

ニューヨークのセント・パトリックス・デー パレード

世界中には8000万人といわれる、アイルランド系の人たちが住んでいて、そのうちの半分近くがアメリカに住んでいます。ですから、3月17日になると、特にアイルランド系移民の多い、ニューヨークの、シカゴ、ボストン、フィラデルフィアなどでは、数々の苦難を乗り越えてきた先祖に感謝し、アイルランドの伝統と文化をお祝いするパレードや行事が行われます。
ニューヨークのパレードには、警察官や消防士がたくさん参加してバグパイプの演奏をしたり、伝統のアイリッシュダンスを踊るかわいい子どもたちの姿も見られます。
今や、アイルランド人とその文化や伝統は、アメリカを始め世界中で受け入れられ、不当な差別はありません。
シカゴやニューヨークでは、川は緑色に染められ、有名なアイリッシュパブのビールも、この日だけは緑色になります。
セント・パトリックス・デーは、アイリッシュもアイリッシュでない人も、みんなが楽しめる春のお祝いの日となりました。

コンビーフとキャベツ

セント・パトリックス・デーの伝統の食べ物と言えば、コンビーフとキャベツ ( Corned beef and cabbage )です。
日本語ではコンビーフと言いますが、英語ではCorned beef
cornとは、塩漬けにして保存することです。ですから、Corned beefで塩漬けにされた牛肉ということです。ビーフは牛の胸のかたまり肉 ( Brisket ) を使います。

もともと、貧しかったアイルランドでは牛肉はぜいたく品とされ、普通の農民が食べられるものではありませんでした。ですから、彼らは特別なお祝いのセント・パトリックス・デーには、ハムやベーコンなど、もっと安く手に入る肉を使っていました。
その後、アメリカにやってきたアイルランド人たちは、安いコンビーフを使って料理するようになりました。そして、キャベツは野菜の中で一番安かったことから、コンビーフと一緒に煮込む野菜としてキャベツが定着したということです。
コンビーフとキャベツは、すごいごちそうというわけではありませんが、セント・パトリックス・デーにふさわしいアイルランドの家庭料理です。

美しい国、アイルランドを祝って、皆さんも3月17日には、緑色のものを身につけられてはいかがでしょうか。
セント・パトリックス・デーの次は、イースター(復活祭)がもうすぐそこです。
⇒⇒⇒ イースター(復活祭) の歴史とたまごやウサギの由来を解説していますので、あわせてどうぞ。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。少しでもお役に立てたらうれしいです。

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